図解でわかる助っ人列伝

【図解でわかるプロ野球助っ人列伝】郭泰源

「図解でわかるプロ野球助っ人列伝」
初回、2回目と野手だったので3回目は助っ人ピッチャーのレジェンドをご紹介します。
1985年に来日して西武に入団。1980年代の黄金期を支え「オリエンタル・エクスプレス」と呼ばれたレジェンド「郭泰源」です。

郭泰源と聞くと、一緒に「郭源治」の名前も浮かびます。こちらも1980年代に中日で100勝したレジェンドですが、この2人が兄弟だと思っていた人、多いんじゃないでしょうか?だって同じ苗字に加えて名前に「源」も入ってるし。
自分も最近までそう思っていました。でも実は兄弟ではないんです!
もっとも野球中継やスポーツニュースが兄弟なんて嘘は言わないですよね。なので恐らく小学校のときに流れたデマをそのまま信じ込んでいたんでしょう。

さて、郭泰源は西武一筋13年間も日本でプレーし、外国人で初のFA権を取得しました。そんな郭泰源の日本での野球人生について図解で紐解きましたのでご覧ください。
下に解説文も書いていますのでご覧いただくとより深くわかります。

「図解でわかるプロ野球助っ人列伝」郭泰源

オリエンタル・エクスプレスの誕生

郭泰源は1962年台湾で生まれました。
野球を始めた当初はショートを守っていたのですが、中学から高級中学(日本でいう高校)に進み、2年生の時に監督から強肩を見込まれて投手に転向したのです。しかし、兄が台湾のノンプロでショートからピッチャーに転向した際に肩を壊して苦しんでいたところを見ていたため、投手転向を勧められた時はかなり拒絶していたようですね。

しかし、いざピッチャーをやり始めるとその才能が一気に開花します。この頃に初めて郭を見に来たプロのスカウトが、後に入団する西武ライオンズのスカウトだったという縁もここで生まれるのです。

さて、中南米の選手であればメジャーやマイナーリーグの試合にスカウトが足を運んで選手を見るのですが、当時の台湾にはプロ野球がありません。1989年に発足し、翌年の1990年に公式戦がスタートしました。つまり当時の台湾の野球選手がアピールする場所と言えば国際大会が主だったのです。

郭は1982年の「第27回IBAFワールドカップ」というアマチュア限定の大会(現在はプロ選手の参加が解禁)でチャイニーズタイペイ代表として活躍し、ここで各国のスカウトの注目を集めるのです。さらにロサンゼルスオリンピックのアジア代表決定戦では日本と対戦して9回2安打1四球の完封サヨナラ勝ちで制し出場権獲得の立役者となったのです。

そうなると郭泰源の評価はたちまちうなぎのぼり。一時はMLBのカージナルスやメッツ、ドジャース、ブルージェイズから注目され、日本からは西武以外にも巨人、中日、ヤクルト、大洋などが獲得を検討するほどだったそうです。

そして1984年のロサンゼルスオリンピックで台湾は銅メダルを獲得し、同年のオフに西武への入団が決定。彼の持ち味でもある最速158km/hのストレートから「オリエンタル・エクスプレス」という通称がつき、さらにキレの良い高速スライダーやシュートを駆使する大注目のピッチャーとなりました。

来日1年目からノーノー達成。西武黄金期のエースへ

こうして台湾人として日本のプロ野球選手となった郭泰源。実は先に1981年に郭源治が中日に入団しているので二番目だったわけですが、郭泰源は入団一年目からその名を野球界に轟かせます。

まずは初登板となった1985年4月10日の対近鉄戦でいきなり完投勝利。4月10日なんてシーズン始まってすぐです。さらに6月4日の対日本ハム戦ではノーヒットノーランを達成しました。

当時の西武は黄金期なわけで投打に強かったわけですが、ノーヒットノーランだけはピッチャーの一人舞台です。もちろん新人王争いに加わったのですがシーズン途中で肩を痛めたため離脱してしまったんですね。実は、後に「ガラスの右腕」と言われてしまうほど怪我との戦いもあったピッチャーです。すでに一年目の時点でこの状態であったのであれば、恐らくプロ入り前の台湾時代から怪我持ちだったのかもしれません。

翌1986年は春のキャンプ終盤まで肩痛が残っていたので、この年から西武の監督に就任した森祇晶監督の方針で開幕から抑えに配置転換されました。この当時は東尾修、工藤公康、渡辺久信、石井丈裕、潮崎哲也といった錚々たる先発陣の顔ぶれ。郭泰源が後ろに回ってもさほど影響はなかったようです。
しかし、彼にとってはそれが嫌でした。「毎日、投げるか投げないか分からないのは精神的にしんどい」と語っています。結局はそのシーズンの8月に先発へ戻りました。翌1987年も先発ローテーションに定着して13勝を挙げるものの、肩痛で一時チームを離れるなど、シーズン通して投げられるかというと厳しいものがありました。

ちなみにこの年の1987年の日本シリーズは西武と巨人の対戦です。この日本シリーズで一番印象的なシーンは日本一目前で清原が涙を流したことですね。清原が守っているファーストから巨人ベンチを見て、ドラフトで自分を指名してくれなかった王監督の姿が目に映った時に、思わず涙があふれたという話です。
そして、この王監督こそ郭にとっては台湾のヒーロー。その王監督率いる巨人が相手だったため彼にとってはこの上ない喜びだったということです。

さらに1988年も自身の開幕10連勝もあり勝率.813はリーグトップ。しかし、右ヒジへの不安のため、この頃になるとオリエンタル・エクスプレスと呼ばれた快速球のスタイルから、奪三振にこだわらず、打たせて取る投球スタイルに変わっていきました。しかし、また同年の夏に登録抹消になるといよいよ“ガラスの右腕”とも呼ばれ始めたのです。しかし最終的には初タイトルとなる最高勝率を獲得するなど、やはり西武のエースとしてその存在は大きいものでした。

衰えを見せない不屈のガラスのエース

1989年になると引退した東尾修に代わるエースとしての活躍が期待されます。肩やヒジに不安を抱えつつも自己最多となる26試合に先発。翌1990年は初めてオールスターゲームに出場するも故障により4年ぶりに規定投球回を割り込みました。ここまでくると、さすがに選手生命もそろそろ危ういと思いますが、郭泰源という男の真骨頂はここからです。
1991年は9連続完投勝利を記録しとなりMVPやベストナインに輝きました。“ガラスの右腕”と呼ばれた彼にとっては不屈の闘志で試合に臨んでいたのでしょう。

翌1992年は腰痛を訴えて途中降板し、これを理由にオールスターゲームを直前で辞退しました。しかし、他球団から仮病の疑いを指摘されて物議を醸し、西武側が自主的に後半戦開始直後の10試合をベンチから外したという出来事もありました。
現在のルールでは、オールスターゲームにファン投票で選出された選手の場合は基本的に出場を辞退することはできません。出場を辞退した場合はオールスターゲーム後、10試合出場停止のペナルティが与えられます。

オールスターってファンにとっては嬉しいものですが、選手にとっては選出されない方が休養に充てられますからね。自分の査定はやはりシーズンの成績で決まるので、なかなか難しいものがあります。

そんなオールスターゲームを直前で辞退した郭ですが、この年は14勝を挙げて2年連続となるゴールデングラブ賞を受賞しました。どうなってるのか本当に不思議ですね。怪我持ちだけど投げる時にはほぼ勝つという漫画のような人です。

1993年は3年ぶりに二桁勝利に届かず、8勝に終わりますが、1994年は打線の援護に恵まれながら開幕9連勝を飾って13勝。1995年は逆に打線の援護に恵まれない試合が続きますが、ロッテ伊良部秀輝と最優秀防御率のタイトルを最後まで争いました。惜しくもシーズン終盤に右手首を痛めて伊良部と0.01差の防御率2.54で惜しくもタイトルを逃し、この手首の故障が大きな原因となり1996年はついに0勝と勝つことができませんでした。

助っ人初のFA権取得も翌年現役引退

1996年年オフには外国人選手として初めてFA権を取得しました。外国人選手がFA権を取得するって本当に難しいですよね。助っ人は日本人選手以上の成績を求められますし、それなりの年棒も支払っているので成績が悪くなると切られてしまいます。しかし郭は怪我と付き合いながらも高いレベルで安定した成績を残し続けることで、このFA権を取得したのです。

さて、FA権を取得したので翌年から外国人枠から外れることとなりました。しかしFA権を取得する外国人選手ってそれだけ長く活躍を続けているのでもうボロボロです。1997年も復活する事はできず、9月に現役引退を表明しました。

日本在籍13年、西武一筋。
117勝は現在も外国人投手の通算勝利数歴代1位。

敗戦数が68なので一人でなんと貯金50もあり、負けは1989年を除けばすべて1ケタという、非常に安定感があり、「負けない投手」でもありました。

引退後は、台湾に帰国してプロチームの監督を務めたのちチャイニーズタイペイ代表監督や、福岡ソフトバンクホークスの一軍投手コーチも務めるなど、台湾の野球界にも貢献し、さらに日本球界にも恩返しをするなど日台の野球における架け橋的存在でもあります。また郭源治や荘勝雄とともに「二郭一荘」と称された国民的英雄です。日本で言えばONみたいな存在なんですかね。


西武黄金期の正捕手としてチームを支え続けた伊東勤は、郭泰源の凄さをこう表現しています。「当時の西武にはいい投手は一杯いました。でも、やっぱり一番は郭泰源です。いまの時代でも、恐らくナンバーワンになれるピッチャーだと思いますね」

以上、「図解でわかるプロ野球助っ人列伝」郭泰源でした。



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