こんにちは。
清原和博氏のYoutubeチャンネル「清ちゃんスポーツ」に、昨年現役引退をした元阪神の藤川球児投手が出演しました。
この両者の間には、2005年に清原氏の通算500本塁打がかかった試合でストレートではなくフォークで三振に打ち取られた「東京ドーム事件」や、藤川投手の代名詞「火の玉ストレート」命名のきっかけなど、いろんな逸話があります。
この辺の詳しいエピソードに関しては当事者が語っている「清ちゃんスポーツ」をご覧ください。
いち野球ファンとしても考えさせられる藤川投手の言葉
さて、この清原ー藤川対談の中で、自分にとって考えさせられる言葉がひとつありましたので、ここでご紹介させていただきたいと思います。
それは藤川投手が自身の引き際について語った内容です。
「プロ野球の球場は異空間。 人に感動を与えるためには品評会ではダメ。『アメリカに行きいんだ』みたいなボールではなく『ここに命かけてやっている』という姿を、見に来た人がどう思うかというのを体現しないといけない。そこをブレてはいけないと思ってやってきた」
自分はこの「品評会ではダメ」という言葉にハッとさせられました。
それは、自らのメジャー挑戦を経て帰国するも独立リーグ入りし、そこから再度阪神でクローザーのマウンドに立った藤川投手だからこそ発することができた言葉です。
近年では野球に関するデータの情報量が多くなったため、ファンである我々も「このピッチャーの変化球の質はどうだろう」「このバッターの長打率は?OPSは?」など、どちらかと言えば 「品評員」みたいな感覚で試合をみているような節があります。
しかも球場で試合をみつつも横目ではスマホで選手のデータを見たりしています。
正直、このブログもそういう視点で書いている部分が多いです。
「必死になる=無理をする」ではない
初めて球場で野球を見た子供の頃、純粋に目の前で身体の大きなプロ野球の選手が必死にプレーしている姿を見るだけで興奮しました。
だって選手の姿は目に焼き付いていても、その試合の勝敗なんてほとんど覚えていないです。
とはいえ最近では「必死になってやる」⇒「無理をする」⇒「ケガするリスクが高い」という観点から、「無理するな」という風潮になっています。
しかし、それは先入観であって「必死になる=無理をする」ではないですよね。
必死になってやるのはその姿を見ればわかります。
バッターボックスで、マウンドで、守備で、走塁で、やはり気迫や気持ちが籠っている選手はプレーの端々にそのようなオーラを感じます。
それが藤川選手の言うように「ここに命かけてやっている」という姿です。
もちろん、現在の選手にそのような意識が薄いとは思っていません。
しかし、見る側が品評会みたいな感覚で試合をみて、選手を評価しているとしていたら、見られている選手自身の考え方も変わってきてしまうかもしれませんね。
また現在のメジャーリーグでもデータや戦術に傾向した風潮にあるという点も少し気になっています。
「品評会ではダメ」
これは藤川投手が選手に向けて発した言葉ですが、我々ファンの応援の在り方についても改めて考えさせられました。
「清ちゃんスポーツ」ぜひご覧ください。
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